シューマン&グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調 / ルプー, プレヴィン, ロンドン交響楽団

2018.04.21 Saturday

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    楽曲にもよるのだろうけれども、ピアノ協奏曲なるものは、個人的にはピアノという素晴らしい音のダイナミックレンジ、そしてポテンシャルを持った楽器と、オーケストラとのバトルであると常々感じながら聴いている。オーケストラを引き立てるのも、また脇役にさせるのも、全てピアノという1台の楽器のコントロール下にあると言うのは、何とも痛快な事ではないかと。

     

    身体に叩きつけられるような音から、とろけるようなロマンティックさで響かせる音まで、1台の楽器であるのにその幅は広く、また、美しい。聴いている身体が完全にピアノと一体化する瞬間がそこここにあるのも、聴いていて耽美な気分に浸れるのも、心と耳とを完全に音楽に引きずり込ませる力を持つ、実にデーモニッシュな楽器であることよ、と。

     

    10本の指から繰り出される音は、雨だれにも嵐にもなる。鍵盤に存在する以外の音は出せないという制約があるにも関わらず、楽器の存在そのものがドラマティックであり、ダイナミックなのは、本当に悪魔の楽器としか言いようがない。

     

    そこでこのルプーのピアノによるシューマンとグリーグのイ短調作品のカップリング。正直どちらがどちらなのか、時に分からなくなるくらいにまだまだ聴き込みが甘いのだけれども、一つだけ確実に言えることは「ピアノはやっぱりカッコいい楽器だわ」と。

     

    ルプーのピアノは鍵盤ががっちりと指に吸い付くタイプの音では決してない。鍵盤と指との隙間に、何かしらの音の「間」が存在している音だと思わせるところも、またロマンティックではないかと。完全硬派な音ではなく、かといって軟弱な音でもない。絶妙なバランスで耳が喜ぶ演奏を聴かせてくれるのがこのルプーという人なのではないかと、超絶有名なこの2曲から感じ取ることができる。

     

    もちろんロンドン交響楽団の演奏も、ピアノに負けじとその存在感を主張するのだけれども、やはり自分の耳ではこのピアノの前においては、その引き立て役になってしまうあたりが、ピアノ協奏曲の面白いところだと思うのだ。

     

    聴き所が多くピアノ協奏曲への入門としてはうってつけなこのカップリング、今後も愛聴盤であり続けるだろうと。

     

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    バッハ:管弦楽組曲 / コープマン, アムステルダム・バロック管弦楽団

    2018.04.14 Saturday

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      自分がクラシックに入る決定的な足がかりになったのは、ここで指揮をしているコープマンのバッハだった。たまたまテレビで流れていたメロディに意識を持って行かれ、すぐに楽曲名を控えてはCDを注文した日のことをまだ覚えている。

       

      バッハは曼荼羅。緻密なレース編みのように複雑に音が絡み合う。万華鏡のように、クルクルとメロディが回り、そしてパズルのピースが次々と適所にはまっていくような感覚。それが大雑把に捉えた、個人的なバッハという作曲家への解釈。

       

      この上なく聴きやすい楽曲から、今でもチャレンジしても挫折する難曲までを作りつくしたバッハの中でも、よい意味での中庸なポジションにあるのが、この管弦楽組曲なのではないかと。故に、最も聴きやすいバッハでもあると。

       

      アムステルダム・バロック管弦楽団の演奏も実に快活。トゥー・ファットに陥らない、楽器同士に隙間がある聴きやすさもまた、自分にとってバッハへの好印象を与える結果になっている。

       

      いわゆる「G線上のアリア」で見られるような流れるメロディと、ティンパニと金管が快活な印象を与える演奏まで、流麗かつ緻密、そしてに繊細に組み立てられるここでのバッハは、コープマンが自分に与えたクラシックの原点を正しく提示しているように思われるのだ。

       

      18世紀の最先端の音楽であっただろうバッハで、21世紀に生きる自分は頭の中のデフラグメンテーションを行う。クラシックはかように時間を飛び越えるジャンルなのかと、その生き残りの時間軸の積分を考えると、実に驚くべき事ではないかと。いや、クラシックの名曲と言われる作品は、時代の荒波に揉まれながらも、時に息を潜め、時に華やかにその時代の表舞台に出てくる、その繰り返しなのかもしれない。

       

      そのように、音楽とは何かと思わず思いを馳せることを引き出す力があるのが、バッハがバッハであるゆえんなのだろうか。

       

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      ベートーヴェン:交響曲第3番 / カラヤン, ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

      2018.04.07 Saturday

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        理由は定かではないが、自分はカラヤンを敬遠していたきらいがある。どこか近寄りがたい、クラシックに対する十分な耐性と理論武装が出来ていないとこれを語ることは出来ない。そのような印象が先行していた。

         

        ところがつい最近、Twitterに流れていたドイツ・グラモフォンの宣伝につられ「これもまた一つのチャレンジか」と聴いてみることにしたのがこの3番と8番のカップリング。

         

        そして十年近くのご無沙汰でカラヤンを再生させてみると、そこにあったのは、完璧に統制され寸分のズレも存在しない現代建築のような、それでいて音楽として心を完全にわしづかみにされる完璧なクラシックの音世界だった。

         

        このディスクが録音された1984年ともなると、カラヤンも老成の域に入り、ともするとひびの入った骨董品になっているのではないか、といった不安もどこ吹く風。手駒であったのだろうベルリン・フィルから朗々とした深い音を引き出し、ホール全体にそれを解放させている。いや、ホールという器ではなく、届く限りの空間へと音を響かせるかの如く、あらゆる楽器が楽器としてそれぞれに役割を与えられていることが手に取るように分かる。

         

        聴き進めていくうちに、クラシック音楽とはいかなるものかと問われているような気にもなり、その解を求めるべく耳は音へと集中していく。問いかけと解答を同時に提示しているのが、カラヤンのタクトであるのならば、自分はその生徒となって目の前で繰り広げられる魔術の一挙一動から目を離すことが許されなくなる。

         

        カラヤンが超一流であるか否か。クラシックの世界では答えが出ているのかもしれない。かく言う自分においては、ここまで統制され、それに対してアンビバレンツなまでに芳醇な音世界をまざまざと見せつけられると、とにかく頭を垂れて「一流です」と喉の奥から声を搾り出さざるを得ない。

         

        現代のクラシック録音を聴く上では、やはり避けては通ることが出来なかったカラヤン。このタイミングで聴くことになったのも、きっと当然の巡り合わせなのだろう。クラシックの沼にさらにはまり込んだような気がする、なんとも罪作りな1枚になってしまった。

         

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        (2018-03-07)

        モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番 / ハーン, ヤルヴィ, ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン

        2018.03.31 Saturday

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          このモーツァルトの楽曲を聴きながら、自分はアイドルユニットPerfumeの「チョコレイト・ディスコ」を思いだしていた。この楽曲はクラシック畑におけるダンスフロアにふさわしい音楽なのではないかと。

           

          ダンスフロアとなる舞台装置がカンマーフィルのオケならば、その上で様々なステップを見せてくれるのが、ヒラリー・ハーンのヴァイオリン。モーツァルトならではの軽快な舞台の上を、隅から隅まで動き、踊り尽くすハーン。

           

          踊りは人間の感情を表現する技法のプリミティヴな一つであり、それは音楽も同様。その親和性を改めてここで説く必要もなく、これらが融合してダンスミュージックとなる。それは例え現代においても、モーツァルトが活躍した18世紀においても、ダンスミュージックとして機能する音楽は、正にその機能のためだけに存在する。

           

          だからこそ思いだしたのは「チョコレイト・ディスコ」であり、250年遡ったクラシックにおけるダンスミュージックを表現したのが、モーツァルトのこの楽曲であり、またこの演奏なのだろうと、つらつらと思ったのだ。

           

          ハーンの演奏は正に譜面をダンスミュージックとして弾き起こしたかのように滑らかなるステップを見せ、また時に激しく床を踏み込む足さばきを見せる。踊りが人間の脳に引き起こす愉悦を余すところなく表現するヴァイオリン。それがこの演奏には感じられるのだ。

           

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          モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番

           

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