ブルックナー:交響曲第3番 / ヴァント,ケルン放送交響楽団

2018.04.28 Saturday

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    ブルックナーをまともに聴けるようになるまでに丸10年かかった。

     

    初めて聴いたのがヴァントとベルリンフィルによる第4番。最早なぜそのディスクを持っていたのかすら忘れてしまったが、10年前の日記を読み返すと「つまらなくはないのだけれども、面白くもない」と書いてあった。

     

    その後、廉価盤だったからという理由でヴァントとケルン放送交響楽団によるブルックナー交響曲全集を買う暴挙に出て、やはりブルックナーの山を越えることは出来ずに挫折。

     

    かくかくしかじかで5年ほど経過。それでも時折ブルックナーを聴き流していくと、徐々に何かが見えて来るもので。それは「ブルックナーは楽曲を楽しむ音楽ではなく、オーケストラを楽しむ音楽だ」と結論づけられるものであり。

     

    まだまだクラシック若葉マークの自分にとって、メロディがはっきりしている楽曲の方が取っつきやすいのは当然の事。一方でブルックナーはオケが一体となって楽曲を紡ぎ上げる楽曲が主であると受け取れるようになってからは早かった。

     

    例えばこの第3番。とにかく金管がバリバリ鳴ってカッコいいことこの上なし。楽章によって主役となる楽器が変わっていくのも面白い。

     

    自分が未熟だからなのか何なのか、メロディはさっぱり頭に入ってこないのだけれども、演奏の面白さが伝わってくる展開と構成に「ああ、自分は今、クラシックを聴いているな」と満足感を得ることが出来る。

     

    そのような満足感程度で果たしてブルックナーへの理解につながるのか、と言った疑問はさておき。そもそもが理解をするためにクラシックを聴くという次元にまだ立っていない自分にとっては、そのような、たった一つの満足のポイントがあればそれでよいのだろうと。

     

    ブルックナーは確かに取っつきにくい。でも、自分なりの魅力となるポイントを見出すことが出来れば、これは純然たるクラシックの王道だと言えるようになってくるわけで。

     

    そして今日もまた、この10年で確かに自分のクラシック脳は成長したのだな、と自己満足に浸りながらブルックナーを聴くのであります。

     

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    ベートーヴェン:交響曲第3番 / カラヤン, ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

    2018.04.07 Saturday

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      理由は定かではないが、自分はカラヤンを敬遠していたきらいがある。どこか近寄りがたい、クラシックに対する十分な耐性と理論武装が出来ていないとこれを語ることは出来ない。そのような印象が先行していた。

       

      ところがつい最近、Twitterに流れていたドイツ・グラモフォンの宣伝につられ「これもまた一つのチャレンジか」と聴いてみることにしたのがこの3番と8番のカップリング。

       

      そして十年近くのご無沙汰でカラヤンを再生させてみると、そこにあったのは、完璧に統制され寸分のズレも存在しない現代建築のような、それでいて音楽として心を完全にわしづかみにされる完璧なクラシックの音世界だった。

       

      このディスクが録音された1984年ともなると、カラヤンも老成の域に入り、ともするとひびの入った骨董品になっているのではないか、といった不安もどこ吹く風。手駒であったのだろうベルリン・フィルから朗々とした深い音を引き出し、ホール全体にそれを解放させている。いや、ホールという器ではなく、届く限りの空間へと音を響かせるかの如く、あらゆる楽器が楽器としてそれぞれに役割を与えられていることが手に取るように分かる。

       

      聴き進めていくうちに、クラシック音楽とはいかなるものかと問われているような気にもなり、その解を求めるべく耳は音へと集中していく。問いかけと解答を同時に提示しているのが、カラヤンのタクトであるのならば、自分はその生徒となって目の前で繰り広げられる魔術の一挙一動から目を離すことが許されなくなる。

       

      カラヤンが超一流であるか否か。クラシックの世界では答えが出ているのかもしれない。かく言う自分においては、ここまで統制され、それに対してアンビバレンツなまでに芳醇な音世界をまざまざと見せつけられると、とにかく頭を垂れて「一流です」と喉の奥から声を搾り出さざるを得ない。

       

      現代のクラシック録音を聴く上では、やはり避けては通ることが出来なかったカラヤン。このタイミングで聴くことになったのも、きっと当然の巡り合わせなのだろう。クラシックの沼にさらにはまり込んだような気がする、なんとも罪作りな1枚になってしまった。

       

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      シューマン:交響曲第3番 / ラトル, ベルリン・フィル・ハーモニー管弦楽団

      2018.03.24 Saturday

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        「歓喜と自省の輪舞」

         

        シューマンを代表する4つの交響曲の中から1曲を。

         

        滔々と流れゆく音に身を任せることの出来る楽曲の一つ。それは楽曲の持つ抱擁力から来るものであり、その抱擁力こそがクラシック音楽の持つ力ではないかと考えさせられる。同時に音楽が導く多幸感とカタルシスを得ることの出来る楽曲でもある。

         

        それは決して派手な印象を与えるだけのものではない。曲全体を覆うような華やかさとは対照的に、進みゆく音の中で自らへの問いかけを求められる側面もまた存在する。内省的とも形容可能なものであり、音楽を前にして自らが何を思うか、何を訴えかけられているかと言った、禅問答にも似た思考のゲームが繰り広げられているようにもまた感じられるのだ。

         

        果たして多幸感における幸せとは何を基準として幸せとするか。どこを切り取ると、この楽曲から内省なる言葉が出てくるのか。

         

        この短尺の楽曲の中で、シューマンはパレットに色とりどりの絵の具を並べ、「お好きなように」と、解釈を勧めているようにも感じられる。それは作曲家に許される無責任さであり、聴き手に許される自由でもある。

         

        聴き手の解釈を縛る音楽が存在するのと同時に、これほどまでに自由度の高い音楽もまた存在する。数多あるクラシック楽曲の中では小品に過ぎないかもしれないが、そこに込められた問いかけと言うフックの多さが、この曲が持つ最大の魅力ではないだろうか。

         

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