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2018.09.17 Monday

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    プロコフィエフ:交響曲第5番 / ウェラー, ロンドン交響楽団

    2018.05.12 Saturday

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      打楽器が楽曲を荒波のように激しく盛り立てる中で、勇ましさと時折の優しさとの表情を入れ替えながら曲は進んでいく。

       

      ややすると曲全体が嵐の最中にあるようなイメージも持ちうるが、その手綱を緩めない攻撃性が何とも言い難い痛快さを導き出す。「美」とはかけ離れるのかもしれないが、「勇」であることを潔しとするそのスコアリングが、20世紀と言う2つの世界大戦を擁した現代激動期を表現しようと試みたものではないかとまで想像させてしまうあたりが面白い。

       

      言い換えると、休みがないのだ。確かにスコア上には一時の休息となる部位はある。それもやはり嵐の前触れであり、事実、その先には嵐が確実に待ち構えている。20世紀に安寧なしとプロコフィエフが言い放っているかのごとく曲が進んでいくように見えるのは、しつこくうがち過ぎだろうか。

       

      戦火に疾走し、緊迫を持った時代。それらを走馬灯のように書き写すと、このようなひたすらに勇ましい、昂ぶりを持った作品が生まれるのではないかと、20世紀半ばを大きく過ぎての、半端な時代に生まれ育った自分は勝手な想像を膨らませてしまうのである。

       

      たとえ平和ボケと言われて育った世代であっても、その手前には全世界的に戦火が吹き荒れていたことを知らしめる作品。平和を安易に描くのではなく、争いを描くことで対義に平和への思いを馳せる。それがこのプロコフィエフの第5番の意図するところではないかと思いながらも、一方でやはりこの攻撃性は痛快であると、単純に呵々と笑い飛ばしながら聴くことも出来るのだ。

       

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      Prokofiev: Complete Symphonies

       

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      マーラー:交響曲第5番 / テンシュテット, ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

      2018.05.05 Saturday

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        鬼気迫るマーラー。その一言に尽きる。

         

        金切り声を上げ、刃物を持って襲いかかったかと思えば、ふとすると優しげな声で語りかけてくる。それが同一人物の中で行われる行為であるのであれば、これは完全に何かが破綻しているとしか言いようがない。

         

        しかし、それは人としてあるべくしてある感情の極端な振れ幅。誰しもが持っているだろう狂気と母性。それらはアンビバレンツなものではなく、人という器の中に収められた、極めて原始的な感情の源である。

         

        その感情の奔流を一つのサーガとしてまとめ上げたのがこのマーラーの第5番なのだと、テンシュテットは演奏をもって明言している。時に耳を塞ぎたくなるような咆吼は、それを聴き手である自分が人間として持っている感情の一部分をえぐられているからであり、そして時に目まぐるしく移り変わる場面転換への聴覚の集約は、そこに何が潜んでいるかとのぞき込みたくなる、好奇心と言う名の無防備さを人間として持っているからである。

         

        これほどまでに人を揺さぶる力を持つ音楽と対峙するには、それ相応の強靱な心を持つことすら要求されているかのよう。えぐる、掘り下げる、そして突く。それは攻撃と言う野蛮な行為ではなく、自らを省みる際に必要とされる、痛みを伴う自己分析でもあるのだろうと。

         

        正気でこのマーラーを聴くには、あまりにも人の心の膜は薄すぎる。逆説的に人の感情はその器が大きいものであるからゆえ、マーラーのこの自省を促す行為にも耐えることが出来るのかもしれない。

         

        恐ろしい。それでもこの音の渦に呑まれたい。それこそがアンビバレンツ。

         

        マーラーの魔力。聴き手をそこまで追い詰める力。それを音として彫りだしたテンシュテット。極みの一端はこういったところに現れる。
         

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        Mahler: Complete Symphonies No.1-No.10

         

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        ブルックナー:交響曲第3番 / ヴァント,ケルン放送交響楽団

        2018.04.28 Saturday

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          ブルックナーをまともに聴けるようになるまでに丸10年かかった。

           

          初めて聴いたのがヴァントとベルリンフィルによる第4番。最早なぜそのディスクを持っていたのかすら忘れてしまったが、10年前の日記を読み返すと「つまらなくはないのだけれども、面白くもない」と書いてあった。

           

          その後、廉価盤だったからという理由でヴァントとケルン放送交響楽団によるブルックナー交響曲全集を買う暴挙に出て、やはりブルックナーの山を越えることは出来ずに挫折。

           

          かくかくしかじかで5年ほど経過。それでも時折ブルックナーを聴き流していくと、徐々に何かが見えて来るもので。それは「ブルックナーは楽曲を楽しむ音楽ではなく、オーケストラを楽しむ音楽だ」と結論づけられるものであり。

           

          まだまだクラシック若葉マークの自分にとって、メロディがはっきりしている楽曲の方が取っつきやすいのは当然の事。一方でブルックナーはオケが一体となって楽曲を紡ぎ上げる楽曲が主であると受け取れるようになってからは早かった。

           

          例えばこの第3番。とにかく金管がバリバリ鳴ってカッコいいことこの上なし。楽章によって主役となる楽器が変わっていくのも面白い。

           

          自分が未熟だからなのか何なのか、メロディはさっぱり頭に入ってこないのだけれども、演奏の面白さが伝わってくる展開と構成に「ああ、自分は今、クラシックを聴いているな」と満足感を得ることが出来る。

           

          そのような満足感程度で果たしてブルックナーへの理解につながるのか、と言った疑問はさておき。そもそもが理解をするためにクラシックを聴くという次元にまだ立っていない自分にとっては、そのような、たった一つの満足のポイントがあればそれでよいのだろうと。

           

          ブルックナーは確かに取っつきにくい。でも、自分なりの魅力となるポイントを見出すことが出来れば、これは純然たるクラシックの王道だと言えるようになってくるわけで。

           

          そして今日もまた、この10年で確かに自分のクラシック脳は成長したのだな、と自己満足に浸りながらブルックナーを聴くのであります。

           

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