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2018.09.17 Monday

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    マーラー:交響曲第5番 / テンシュテット, ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

    2018.05.05 Saturday

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      鬼気迫るマーラー。その一言に尽きる。

       

      金切り声を上げ、刃物を持って襲いかかったかと思えば、ふとすると優しげな声で語りかけてくる。それが同一人物の中で行われる行為であるのであれば、これは完全に何かが破綻しているとしか言いようがない。

       

      しかし、それは人としてあるべくしてある感情の極端な振れ幅。誰しもが持っているだろう狂気と母性。それらはアンビバレンツなものではなく、人という器の中に収められた、極めて原始的な感情の源である。

       

      その感情の奔流を一つのサーガとしてまとめ上げたのがこのマーラーの第5番なのだと、テンシュテットは演奏をもって明言している。時に耳を塞ぎたくなるような咆吼は、それを聴き手である自分が人間として持っている感情の一部分をえぐられているからであり、そして時に目まぐるしく移り変わる場面転換への聴覚の集約は、そこに何が潜んでいるかとのぞき込みたくなる、好奇心と言う名の無防備さを人間として持っているからである。

       

      これほどまでに人を揺さぶる力を持つ音楽と対峙するには、それ相応の強靱な心を持つことすら要求されているかのよう。えぐる、掘り下げる、そして突く。それは攻撃と言う野蛮な行為ではなく、自らを省みる際に必要とされる、痛みを伴う自己分析でもあるのだろうと。

       

      正気でこのマーラーを聴くには、あまりにも人の心の膜は薄すぎる。逆説的に人の感情はその器が大きいものであるからゆえ、マーラーのこの自省を促す行為にも耐えることが出来るのかもしれない。

       

      恐ろしい。それでもこの音の渦に呑まれたい。それこそがアンビバレンツ。

       

      マーラーの魔力。聴き手をそこまで追い詰める力。それを音として彫りだしたテンシュテット。極みの一端はこういったところに現れる。
       

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      ブルックナー:交響曲第3番 / ヴァント,ケルン放送交響楽団

      2018.04.28 Saturday

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        ブルックナーをまともに聴けるようになるまでに丸10年かかった。

         

        初めて聴いたのがヴァントとベルリンフィルによる第4番。最早なぜそのディスクを持っていたのかすら忘れてしまったが、10年前の日記を読み返すと「つまらなくはないのだけれども、面白くもない」と書いてあった。

         

        その後、廉価盤だったからという理由でヴァントとケルン放送交響楽団によるブルックナー交響曲全集を買う暴挙に出て、やはりブルックナーの山を越えることは出来ずに挫折。

         

        かくかくしかじかで5年ほど経過。それでも時折ブルックナーを聴き流していくと、徐々に何かが見えて来るもので。それは「ブルックナーは楽曲を楽しむ音楽ではなく、オーケストラを楽しむ音楽だ」と結論づけられるものであり。

         

        まだまだクラシック若葉マークの自分にとって、メロディがはっきりしている楽曲の方が取っつきやすいのは当然の事。一方でブルックナーはオケが一体となって楽曲を紡ぎ上げる楽曲が主であると受け取れるようになってからは早かった。

         

        例えばこの第3番。とにかく金管がバリバリ鳴ってカッコいいことこの上なし。楽章によって主役となる楽器が変わっていくのも面白い。

         

        自分が未熟だからなのか何なのか、メロディはさっぱり頭に入ってこないのだけれども、演奏の面白さが伝わってくる展開と構成に「ああ、自分は今、クラシックを聴いているな」と満足感を得ることが出来る。

         

        そのような満足感程度で果たしてブルックナーへの理解につながるのか、と言った疑問はさておき。そもそもが理解をするためにクラシックを聴くという次元にまだ立っていない自分にとっては、そのような、たった一つの満足のポイントがあればそれでよいのだろうと。

         

        ブルックナーは確かに取っつきにくい。でも、自分なりの魅力となるポイントを見出すことが出来れば、これは純然たるクラシックの王道だと言えるようになってくるわけで。

         

        そして今日もまた、この10年で確かに自分のクラシック脳は成長したのだな、と自己満足に浸りながらブルックナーを聴くのであります。

         

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        シューマン&グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調 / ルプー, プレヴィン, ロンドン交響楽団

        2018.04.21 Saturday

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          楽曲にもよるのだろうけれども、ピアノ協奏曲なるものは、個人的にはピアノという素晴らしい音のダイナミックレンジ、そしてポテンシャルを持った楽器と、オーケストラとのバトルであると常々感じながら聴いている。オーケストラを引き立てるのも、また脇役にさせるのも、全てピアノという1台の楽器のコントロール下にあると言うのは、何とも痛快な事ではないかと。

           

          身体に叩きつけられるような音から、とろけるようなロマンティックさで響かせる音まで、1台の楽器であるのにその幅は広く、また、美しい。聴いている身体が完全にピアノと一体化する瞬間がそこここにあるのも、聴いていて耽美な気分に浸れるのも、心と耳とを完全に音楽に引きずり込ませる力を持つ、実にデーモニッシュな楽器であることよ、と。

           

          10本の指から繰り出される音は、雨だれにも嵐にもなる。鍵盤に存在する以外の音は出せないという制約があるにも関わらず、楽器の存在そのものがドラマティックであり、ダイナミックなのは、本当に悪魔の楽器としか言いようがない。

           

          そこでこのルプーのピアノによるシューマンとグリーグのイ短調作品のカップリング。正直どちらがどちらなのか、時に分からなくなるくらいにまだまだ聴き込みが甘いのだけれども、一つだけ確実に言えることは「ピアノはやっぱりカッコいい楽器だわ」と。

           

          ルプーのピアノは鍵盤ががっちりと指に吸い付くタイプの音では決してない。鍵盤と指との隙間に、何かしらの音の「間」が存在している音だと思わせるところも、またロマンティックではないかと。完全硬派な音ではなく、かといって軟弱な音でもない。絶妙なバランスで耳が喜ぶ演奏を聴かせてくれるのがこのルプーという人なのではないかと、超絶有名なこの2曲から感じ取ることができる。

           

          もちろんロンドン交響楽団の演奏も、ピアノに負けじとその存在感を主張するのだけれども、やはり自分の耳ではこのピアノの前においては、その引き立て役になってしまうあたりが、ピアノ協奏曲の面白いところだと思うのだ。

           

          聴き所が多くピアノ協奏曲への入門としてはうってつけなこのカップリング、今後も愛聴盤であり続けるだろうと。

           

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          バッハ:管弦楽組曲 / コープマン, アムステルダム・バロック管弦楽団

          2018.04.14 Saturday

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            自分がクラシックに入る決定的な足がかりになったのは、ここで指揮をしているコープマンのバッハだった。たまたまテレビで流れていたメロディに意識を持って行かれ、すぐに楽曲名を控えてはCDを注文した日のことをまだ覚えている。

             

            バッハは曼荼羅。緻密なレース編みのように複雑に音が絡み合う。万華鏡のように、クルクルとメロディが回り、そしてパズルのピースが次々と適所にはまっていくような感覚。それが大雑把に捉えた、個人的なバッハという作曲家への解釈。

             

            この上なく聴きやすい楽曲から、今でもチャレンジしても挫折する難曲までを作りつくしたバッハの中でも、よい意味での中庸なポジションにあるのが、この管弦楽組曲なのではないかと。故に、最も聴きやすいバッハでもあると。

             

            アムステルダム・バロック管弦楽団の演奏も実に快活。トゥー・ファットに陥らない、楽器同士に隙間がある聴きやすさもまた、自分にとってバッハへの好印象を与える結果になっている。

             

            いわゆる「G線上のアリア」で見られるような流れるメロディと、ティンパニと金管が快活な印象を与える演奏まで、流麗かつ緻密、そしてに繊細に組み立てられるここでのバッハは、コープマンが自分に与えたクラシックの原点を正しく提示しているように思われるのだ。

             

            18世紀の最先端の音楽であっただろうバッハで、21世紀に生きる自分は頭の中のデフラグメンテーションを行う。クラシックはかように時間を飛び越えるジャンルなのかと、その生き残りの時間軸の積分を考えると、実に驚くべき事ではないかと。いや、クラシックの名曲と言われる作品は、時代の荒波に揉まれながらも、時に息を潜め、時に華やかにその時代の表舞台に出てくる、その繰り返しなのかもしれない。

             

            そのように、音楽とは何かと思わず思いを馳せることを引き出す力があるのが、バッハがバッハであるゆえんなのだろうか。

             

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            バッハ:管弦楽組曲

             

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